選手、監督が語る早稲田優勝の裏側。外池大亮×岡田優希×小島亨介
竹中 玲央奈関東大学サッカーリーグ戦1部で3年ぶりの優勝。 関東大学サッカーリーグで王者に輝いた早稲田大学ア式蹴球部。2016年に2部降格を経験したものの、1年で1部復帰を果たし、復帰初年度に優勝という快挙を成し遂げました。 その優勝の背景には、今年から監督に就任した元Jリーガー・外池大亮監督の手腕がありました。彼はどのように選手を育成し、名門・早稲田を復活させたのでしょうか。 そして、選手たちは外池監督のもとで何を学び、ピッチで表現したのでしょうか。外池監督と、キャプテンの岡田優希選手(FC町田ゼルビア内定)、小島亨介(大分トリニータ内定)の4年生コンビにお話を伺いました。
リーグ最終節の法政大学戦は、4年生全員がメンバーに名を連ねましたが、試合を振り返ってみていかがでしたか?
岡田:結果的には1-2でしたし、勝つチャンスはありましたけど、結果以上に力の差を感じる試合でした。早稲田のチームとして戦うのと、4年生だけで戦うのはまた別物で、その難しさはありましたね。
外池:第20節の東京国際大学戦で優勝が決まって、この試合をどう戦うかと考えた時に、今までやってきたことを一旦リセットして何かに挑戦するチャンスだと感じました。第21節の順天堂大学戦に関しては、小島と相馬(勇紀)が不在の中、3年生以下で戦って、なおかつ今までの4バックから3バックに変更するというトライをしました。 最終節(第22節)の法政大学戦は、4年生だけで戦うべきだと思っていました。今年1年間を戦ってきた中で、4年生の存在は非常に大きかったですし、優勝という一つの成果を出してくれました。 その4年生“だけ”の力で戦った時に何ができるかというのは、私自身も楽しみにしていましたし、3年生以下で戦う順天堂大学戦と、4年生だけで戦う法政大学戦はセットで考えて準備を進めていました。 正直、準備段階で4年生だけでは難しいのではないかと感じることもありましたけど、紅白戦では3年生以下のチームに勝つことができたので、胸を張って送り出すことができました。 私が22年前に優勝した時は、4年生同士で団結するということはあまりなかったんです。ただ、今年の4年生に関しては「4年生だけでやってみるか?」と問いかけてみたところ、迷いなくやってくれました。
岡田:僕たちが2年生の時に、同学年全員でミーティングをして「4年生になったら最後はみんなで試合に出よう」と話していたんです。ただ、それがどれだけ難しいことかは全員が分かっていましたし、結局のところ話は流れてしまいました。 それでも、その意識やマインドは4年生になるまで心の中でくすぶっていたので、前向きにトライすることができました。
外池:10月中旬くらいの2位との勝ち点差が少し離れたタイミングでスケジュールを逆算しました。「このまま行けば、もしかしたら早く優勝できるのではないか」と感じて、そうなったら4年生だけで戦っても良いのではないかと思い始めました。そもそもリーグ戦の登録メンバーに入っていない4年生もいましたし、ユニフォームの手配も大丈夫なのかという不安はありましたが(笑)。ただ、アシックスさんがそこを対応してくれたおかげで解決できて。ただその後、リーグが佳境になり、混沌とする中ですっかり忘れてしまっていましたが(苦笑)、優勝した瞬間になぜかそれが蘇り、やはり4年生だけで戦おうと決心しました。
今シーズン全体を振り返ってみていかがでしたか?
小島:チームとしての修正力があったと感じています。前期の駒沢大学戦で負けたり、後期に2回の大敗をしたりしましたが、次のトレーニングでは、全員が修正しようという共通意識を臨んでいました。その成果もあって、次の試合は連敗せずに引き分けに持ち込んで、その次の試合では勝つという良いサイクルがありました。
岡田:つい最近終わったことが信じられないくらい、濃い1年間を過ごすことができました。チームとしても個人としても、開幕戦の時とは全く違う姿になったと感じています。 開幕当初は僕がキャプテンになったばかりで、天皇杯での大敗もあり、今後どう戦っていくのか不安がありました。まずは1部に残留して、インカレに出場するということを念頭に戦っていて、気づいたら優勝していたので、未だに実感が沸かないですね。
開幕戦からのチームと選手の変化は、外池監督も感じているのでしょうか。
外池:毎週のトレーニングの中でテーマを設けて、そのテーマに選手たちがしっかりと向き合っていたからこそ、チームとしての修正力が生まれたのだと思います。選手たちは変化を厭わなかったですし、新しいことに対して肯定的に取り組んでくれました。その空気感がピッチ内外で感じられたので、監督としても非常にやりやすかったです。
岡田:昨年のチームと比べても、今年に外池さんが来てからは別のチームになったと感じます。よりサッカーに打ち込める環境ができましたし、純粋にサッカーを楽しんでいるからこそ成長できたのだと思います。 英語版のTwitterアカウントを作ることもありましたし、ピッチ外での取り組みを含めて、チームが180度変わっていきました。
小島:チームを良くするために全員が時間を費やす意識がありましたし、「週刊ア式」という選手が選手にインタビューをするという広報の取り組みも始まりました。スカウティングの映像も充実したので、チームの方向性が明確になりました。
岡田:週刊ア式も、1年生で広報を手伝っている選手がやりたいと提案して始まったんです。
小島:部内で役職があるんですけど、そのアシスタントに率先して就く選手が増えていきましたし、よりチームを外にも発信できるようになりました。
最終学年での監督交代は…?
4年生になって監督が代わるというのは、どのような心境だったのでしょうか。
岡田:環境が変わることに対しての不安はなかったですね。前監督の※古賀(聡)さんのベースがあった中で、外池さんが新しい変化を取り入れてくれて、上手くマッチしていたと思います。古賀さんの3年間と、外池さんの1年間を掛け合わせた結果が、今年の優勝でした。 ※現 名古屋グランパスU-18監督。 2011年〜2017年までチームを指揮
小島:古賀さんは挑戦という言葉を良く使っていましたが、今年は外池さんが来て、その挑戦の意味が良く分かったような気がします。昨年までも選手が主体となっていることに変わりはなかったですが、最終的にはスタッフが決めたことをこなしている印象がありました。 それが今年は選手たちが提案をして、外池さんが受け入れてくれて実行するという流れが大かったので、自分たちの力でチームを作っていくことができました。
1年生の時にも優勝を経験しましたが、今年の優勝は全く違った雰囲気だったのでしょうか?
岡田:全く違った雰囲気でしたね。優勝を決めた後に、試合に出られなくてスタンドで応援してくれている選手たちを見ていたんですけど、みんなが笑顔で喜んでくれていて。 1年生の時の優勝は、みんなが喜んではいるものの、自分は関係ないというような空気がありましたし、それは同学年の選手たちも後で口にしていました。あの時とは違って、全員が心の底から優勝を喜んでいたと感じましたし、そのことが優勝という結果以上に嬉しかったです。
外池監督は、この1年間でどのようなチームに作り上げていこうとしていたのでしょうか?
外池:まず最初に新4年生と顔合わせをして、今後の方向性を話していた時に、天皇杯で大敗していたこともあって、どうなっていくのかがお互いに不安だったと思います。もちろん新体制なので、スタッフにはある程度の方向性を指示していましたが、選手には私が指示し動かせるというよりも、一緒に作り上げるべきだと考えていました。 キャプテンの岡田と何回かやり取りをして、ビジョンを固めていく中で、大学サッカーの構図や歴史も加味して、そのビジョンに必要な要素を挙げていきました。そこで岡田が出してきた答えは、私にとっても正解だと思いましたし「これで行こう」というふうに言いました。 その中で、少しでも私たちが早稲田であることを感じてもらうために、あえてラグビー部の清宮克幸監督が使っていた「ドライブ」という言葉を今年のスローガンに掲げました。 みんなにとって「早稲田とは何なのか」という話もしましたし、無記名のアンケートを実施してみたところ、正直今の早稲田があまり好きではない、と答えた選手もいました。そうして選手の頭の中を共有してもらった上で、スタッフのあるべき姿を考えていきました。 学生主体という言葉はいろいろなところで良く使われますが、学生に責任を預けて終わってしまっていることもあります。例えば、監督がピッチ外で選手がするべきことは分からないから、選手にすべて委ねてしまうということもあると思います。 私はそのやり方が好きではなくて、社会人として生きている以上、学生に伝えられることはあるはずですし、そうでないと私たちがいる意味はないんです。そして、ただ伝えるだけではなくて求められる側にならないといけないですし、求められたら何を返せるのか。 その答えを持っているのがスタッフですし、学生の能力を最大限引き出せるような体制にしたいと考えていました。学生たちが能力を発揮していないにも関わらず「こういうサッカーをして勝ちましょう」と言うのはどうしても受け入れられなかったので。 主体性には責任とアイデアが伴っていて、それがないと主体ではないんです。自由さがある中で、その責任を持ち合わせられないといけません。なおかつ自分で考えられる力がないと、その先で通用していかないので、考えを言葉にしたり、言葉から考えを導き出したりする作業が必要です。 最初に選手たちから「自分の価値を高めたい」「注目されたい」という言葉が聞けたので、そうであれば自分をどんどん発信していかないといけないですよね。そうして選手たちに自分を発信させるのであれば、私も発信してみようと思い、Twitterを始めました(笑)。
岡田:僕自身が「自分の価値を高めたい」と感じたのは2年生の時ですね。学年でミーティングをする機会は多かったので、その中で議題に上がることはありました。とはいえ、自分の価値を高めるためには試合で結果を残さないといけないという考えが強かったです。 ただ、必ずしも試合で結果を残すことが全てではないことを、外池さんから学びました。
学業と代表の両立、進路…大学サッカーならではの悩み
小島選手は高校3年生から年代別の日本代表として活躍していますが、日本代表と大学サッカーを両立することの難しさは感じましたか?
小島:最初は難しかったですね。両方に適用する力はまだなかったですし、やっているサッカーも違えば、どうしてもレベルの差もあります。そうなると周りに要求することも変わってくるので、試行錯誤しながらやっていました。 日本代表ではスタッフが全部やってくれることも、早稲田に帰ってきたら自分の手でやらなければいけなくなります。ただ「日本代表だから」と言ってやらないということはなかったですし、その謙虚さは周りも評価してくれました。 あとは早稲田でAチームまで行けたとしても、そのタイミングで日本代表に呼ばれて、帰ってきたらまたBチームからやり直しということもありました。その繰り返しに悩まされる時期もありましたけど、とにかくトレーニングで差をつけるしかないと思っていました。 今ではそういう経験があったからこそ成長できたと思っていますし、支えてくれたスタッフにはすごく感謝しています。
授業との兼ね合いも大変なのではないでしょうか。
小島:そこが一番大変かもしれないです(笑)。授業によっても公欠扱いになるか、そうでないかが変わってくるので。欠席分の課題をくれる先生もいれば、全て欠席扱いになることもあります。先生とのコミュニケーションも取らないといけないので大変ですね。
岡田:僕たちが所属しているスポーツ科学部は、出席重視の授業が多いんです。だから小島みたいな人は単位を取るのが難しいですけど、それでも自分の力で解決しているのはすごいと思います。周りも日本代表だからといって特別扱いすることはないです。
大学サッカーでは、全員がプロを目指しているわけではないのでしょうか。
岡田:僕たちの学年では19人中5人しかプロ志望はいないですし、一学年でだいたい4分の1くらいの割合だと思います。 そうなると、どうしてもサッカーに対する熱量に差が出てしまいますよね。だからこそ「(※)WASEDA the 1st」というスローガンが必要なんです。プロサッカー選手を目指すだけでなく、次の社会にも繋がるようなビジョンを作れば、スッキリするのではないかと。 ※創部当初からのチームスローガン。「サッカー選手で1番になる前に、人として1番であれ」「日本をリードする存在になる」という意味が込められている
大学サッカーの4年間は、どのような意味があるとお考えでしょうか。
外池:サッカー選手としてチームをリードできる選手は限られてきますが、主務として自分たちのやり方でリードしていく人もいます。そのチームのための取り組みは、プロに行くメンバーにも大きな刺激になっているはずです。それが早稲田の強みになっていますし、私が目指していたところでもあります。 サッカーの軸だけでは持ち合わせられないものがあります。プロになれば、サポーターの前でどのような振る舞いをするかを考えなければいけないですし、いちビジネスとしてどのように自分の存在価値を発揮するかも重要です。 私たちは、選手が多方面からリードすることを考えられる組織になりたいですし、リードできる人材を輩出する組織にしていきたいと思っています。だからこそ、最初の土台となる4年生は重要な存在だったんです。最初の2カ月を終えた時には「濃すぎてやばい」という言葉も聞けましたし、本当に良く向き合ってくれていました。 大学サッカーでの4年間は大きな学びがありますし、サッカーと社会という、2つの軸で大きく成長できる場だと思います。
岡田:サッカーの軸だけだと成長が遅れてしまうのは間違いないです。僕たちが大学で過ごしている4年間のうちに、高卒でプロに入って活躍している選手もいます。その選手たちとの実力差は開いてしまっていますが、遠回りしている分、サッカー以外の面で価値を見出さないといけないんです。 彼らがサッカーの世界で切磋琢磨している中で、僕たちは大学でしか学べないことがあります。それを吸収していかないと、プロに行けたとしても、大学を経由した意味がなくなってしまいますから。プロに行くにしろ行かないにしろ、サッカーの軸以外でも学べるような組織にしていきたいです。
小島:僕はユース出身ですが、ユースはあまり人に干渉しない環境だったんです。それが部活動になると、お互いに追求し合うことが増えてくるので、自分をさらけ出して表現する力が必要になります。 ユースと部活動を両方とも経験できたことは、自分のサッカー人生において大きかったですし、今後にも生かしていきたいと思っています。
ブランドが一新されることで得られる「ワクワク感」
2016年に早稲田大学とアシックスさんが提携しました。サプライヤーが変わることのインパクトはあったかなと。
外池:日本のメーカーということで、すごくクオリティの高さを感じられます。私たちがチームとして発信力を高めていったことで、アシックスさんともお互いに提案をしながら成長できる環境が作れていると思います。来年はユニフォームも一新しますが、デザインも双方の意見を取り入れながら決めています。
岡田:選手としても、ブランドが一新されることはすごくワクワクします。「大学スポーツの産業化」というテーマで早稲田大学と提携していただいたのは嬉しいことです。
外池:アシックスさんは派手ではないものの、地に足をつけて着実に進んでいるイメージがあります。その姿勢はすごく学生と似ていますし、私たちにマッチしているのではないかと思います。 インカレで使用するジャージも一新する予定です。リーグで優勝して注目度も上がったことで、さらに上のステージに挑戦する姿勢が伝わるようなデザインに仕上げています。
今後、早稲田大学ア式蹴球部はどのような組織になっていくべきだとお考えですか。
小島:僕たちは学年ミーティングで、何十年後に早稲田のこと振り返った時に「この代から早稲田は変わっていったと言われるように頑張ろう」と話していました。今年から外池さんが入って、今までになかった取り組みをしてきましたが、その本当の成果は何十年後かに見えてくると思います。早稲田の未来に繋げていくためにも、まずはインカレで結果を残したいと考えています。
岡田:何か変化を起こそうという感覚を、みんなが持ち合わせている代なので、キャプテンとしてもすごくやりやすさはありましたね。
外池:ロシアW杯の中継で小島と相馬が出演した時に、一つ感じたことがあります。当時は他の中継のゲストにJリーガーも出演していましたが、その中に大学サッカー出身の彼らが入っていっても、言葉や姿勢、顔つきだけで勝負ができるという確信を持てました。 それは視聴者の方も気づいたと思いますし、大学サッカーの価値はより一層高められるはずです。 サッカーは技術のレベルが高いだけでは通用しません。大学サッカーは、サッカー以外の面をより深められる環境です。その環境で育った人は、そうではない人々に自分の経験を伝えていってほしいですし、今後はもっと日本や世界で活躍できる人材を輩出する組織にしていきたいと考えています。