大学と社会でぶつかった壁。学生ランナーに伝えたい、加納由理の葛藤と激励
「生涯ランナー」をモットーに、様々なレースを走りながら陸上とビジネスをリンクすべく活動する加納由理。
立命館大学女子陸上競技部のエースだった加納は、日本を代表するランナーになっていく過程で何を思い、そして現役引退後にどうつなげたのか。北海道マラソンや名古屋国際女子マラソンで優勝したその走力を培ったもの、多くを学んだ立命館大学での競技生活や、引退後にぶつかった壁、陸上界への思いを聞いた。
「自分で考えて、自分でやる」可能性を広げた大学生活
──立命館大学の女子陸上競技部は、女子駅伝では指折りの名門チームです。加納さんが入学した当時は、どんなチームでしたか。
自由で、自主性が重要視されていた印象です。入部してすぐ、いきなり先輩から『これからけっこう大変だよ』と言われたことを覚えています。実際、大学に入ると先輩の考えたメニューばかりではなく、ある程度、自分で考えて練習をしないといけないですし、当時は寮もなく、自由な時間が増えて誘惑も多かったんです。 でも、私自身は流されることはなかったです。すべては自分次第ですし『大学の次は実業団に入る』と決めていたので、大学でも結果を残す自信がありました。
──大学の練習は、厳しかったですか。
1年生の時は、先輩が考えた練習メニューをこなしていましたが、走っているのか否かを確認するくらいでした。スタート時間が決まっていなくて、来た人から始めるみたいな。 ポイント練習(※)もあったんですけど、ジョグなどの軽いメニューに逃げる人もいましたね。やるかやらないかは自分次第でした。大学ってこんな感じなんだなと思ったことを覚えています。 ※ポイント練習:トレーニング計画の中で重要な練習のこと。強度の高いトレーニングやレース前のペース走などを指す場合が多い。
当時は、陸上競技部の寮がなく、それぞれアパートなどに住み、食事も自炊が中心だった。夏合宿は食事が大量に出され、走り込みに来ているのに帰るころには体重が増えていたこともあった。 ただ、加納はストイックに陸上と向き合い続けていた。競技を最優先に考え、バイトもしない。陸上競技部では「加納の家はテレビがなく、トレッドミルが置いてあるワンルームで、陸上に全ての時間を注いでいる」と噂が広がっていたという。
──噂を聞いて、当時はどう思いましたか。
そんなこと言われているんだって(苦笑)。陸上に対する思いは人一倍強いのかなと思っていたので、気にはならなかったですね。
──ストイックに取り組む中で、競技における成長は感じていましたか。
秋を過ぎてからは、ちょっとしんどくなってきましたね。それは練習どうこうではなく、客観的に自分の走りを見てくれる人や相談できる人がいなかったからです。 このままいくと現状維持さえできずに落ちていってしまう、もう諦めるしかないという感じで、壁にぶつかったような気持ちでした。
──その状況を打破するキッカケはあったのですか。
2年の春、陸上競技部に十倉(みゆき)コーチが来られたのはかなり大きかったです。まだ、26,27歳でうちの兄と同じ年齢で、すごく話がしやすかったんです。コーチが来てからは『こうしたいです』と言うと『じゃあ、こうやってみよう』みたいな感じで、ひとつひとつの練習や試合に対して意見を交換することができました。 客観的な意見を言ってくれるので、十倉さんが来てくださって救われたなと思いました。
十倉みゆきコーチが就任してからは練習の質と量が向上し、朝練習では10キロ~15キロを走った。個人の力をつけ、3年の時には、日本学生対抗選手権1万メートルで優勝し、日本学生種目別選手権5000メートルも優勝。4年時には、全日本学生選手権1万メートルで優勝し、女子学生中長距離界のトップランナーに成長した。
──当時の立命館大は、個人と駅伝どちらがメインだったのですか。
ほとんどの部員は駅伝がメインだったと思います。私は個人で結果を出してこそ下級生が頑張ってくれると思っていたので、個人種目をかなり頑張っていました。 駅伝は、4年間エース区間の1区を走っていたんですけど、他の選手に助けてもらった印象が強いです。1区はすごく注目されて、北京五輪代表になった赤羽(有紀子・当時城西大)さんとガチンコ対決をしないといけないというのもあって、プレッシャーに負けてしまっていました。
──プレッシャーかかると、どんな状態になるのですか。
なんか体がフワフワしてしまって、自分の力を発揮できないんです。日本代表とかで一人で走る時は、ほとんどプレッシャーを感じずに、力も入るし、普通に走れるんですけど・・・。
エースと呼ばれる選手は、えてして責任感が強く、周囲の期待に応えようと一人で苦しむ選手が多い。自分がやらなければという気持ちが人一倍強かったのも、過度にプレッシャーを感じてしまった要因の一つだろう。
自分を失った時は、挑戦して次につなげる
──そういったプレッシャーを克服することはできましたか。
28歳からマラソンを始めたんですが、そのころから胆が据わりました。マラソンは、自分の内面と話をして進める心の競技です。今日できる一番いいパフォーマンスをしようと自分の気持ちをコントロールできるようになりましたし、一人で走っているのではなく、指導者や周囲の人と一緒に走っていると思えるようになったのも大きかったですね。
──改めて大学時代を振り返ってみて、どんな4年間でしたか。
自分の種目以外の人とつながりを持つことで、視野が広がったのは大きかったと感じています。 高校の時は、陸上部の中で短距離と長距離が分かれていたので、短距離選手たちの試合がいつあるのかも知らなかったんです。でも、立命館の陸上競技部は短距離と長距離が一つになっています。駅伝も陸上競技部全員でやっている感じで、短距離の選手も応援してくれるんです。 あと、大学は自分で考えて、自分でやる、自主性を育むことができたのかなと思います。
──今年、立命館大は杜の都駅伝で17年ぶりに表彰台を逃しました。
私たちの時代はチャレンジャーとして挑んでいましたけど、今は負けられないプレッシャーの中で戦っているので、しんどいだろうなぁと思います。 でも、正直、ここまでよくやってきてすごいなとも思うんです。大学は4年で選手が入れ替わるので戦力を整えるのはすごく難しいんですよ。そんな中でずっと表彰台を維持したのはすごいことですよね。
今回はそれを逃して、「負けてしまった」と考えていると思うけど、逆に言えばもう失うものがない。次の大会ではチャレンジャーとして攻めていってほしいです。
加納は、優しい表情を浮かべて、そう言った。 加納が資生堂で実業団をつづけ、引退を決めたのは2014年5月である。2006年全日本実業団女子駅伝では最長区間の5区を走り、資生堂を初優勝に導いた。その後、中長距離からマラソンに転向し、2010年名古屋国際女子マラソンで優勝するなど、結果を残してきた。 そんな加納でも、「不安」を抱いた時期がある。それが引退後、セカンドキャリアを歩み始めた時だった。
──引退する時、加納さんが抱えた不安とは、どういうものだったのでしょうか。
現役時代はほとんど不安になることはありませんでしたが、陸上以外やっていない自分が社会に放り出された時、どうやって生きていったらいいのだろうという不安は強くありました。 実際、陸上をしていると社会と繋がっていられるけど、引退してその繋がりが薄れた瞬間、急激に自信をなくしてしまって大変でした。 他の選手は学校に行ったり、お店で働いたりしていましたが、私は陸上と関わりたい気持ちが強かった。陸上が終わっても私はチャレンジし続けたいんだな、と気付きました。 引退後の1年目はゲストランナーのお仕事をしながら、自分に何ができるのかをいろんな人に聞いたりしたんですけど、結局はよくわからなかったんですよ。いい話は聞けるんですけど、自分のキャリアにつながっていくイメージがわかなかった。 でも人とのつながりができて、それは今にも生きているなと思います。
──「現役時代にもっとこうしておけばよかった」と思うことはありますか。
うーん、難しいですけど、投資の仕方は間違えていたなと思います。若い時って、お金をもらえると欲しいものを買ってしまうじゃないですか。私もそうだったので(笑)。 現役時代は疲労を抜くとか、リラックスするために投資していたんですけど、今思うと勉強に投資しておけばよかったのに、とも思います。そうすればセカンドキャリアも変わったのかなと。
加納が考えたことは、いま現役時代を過ごすアスリートにも通じることだろう。陸上という強固な鎧を脱ぎ、生身の人間になって社会に出る恐怖心は、いくら現役時代に結果を出していたとしても消し去ることが難しい。 ただ、どんな選手にもやめる時がやってくる。加納が抱いた苦悩、あらゆるアスリートへの激励でもある。
陸上界の原石を目覚めさせていきたい
──ホームページを見ると講演もされています。どういったお話をされるのでしょうか。
2部構成で、最初はインターハイに出るような選手じゃない自分が、それでも世界選手権に行けたことについて、後半は私がやってきた「夢をかなえる5つのポイント」についてお話しています。まずイメージトレーニングで成功するイメージをすること。成功する人の真似をすること。目標を書き出すこと。練習日誌で日々を振り返って、自分を適切に認識すること。そして、周囲に感謝すること。
最初は自分の実績を語るのってただの自慢話じゃんと思っていたんですけど、中高に行くと生徒が素直に聞いてくれたりするんですよ。 陸上選手だけではなく、いろんな人に響いてくれているみたいで『希望する大学に入りたいので、加納さんの言っていたことを実行します』と言ってくれたのはうれしかったですね。
加納の講演のテーマは「夢のかなえ方」。中高生だけではなく、50歳以上の年配の方の集まりでの講演に行くと、「夢をかなえるのは年齢関係ないかもしれん」と感謝の言葉を掛けられたという。 仕事のツールや自らの考えを積極的に発信するために、加納はSNSも利用している。最近は、若い陸上選手を始め、多くがSNSで発信しているが、加納は若い選手のためになるような情報を提供している。
──SNSをどのように活かしていますか。
今は、セカンドキャリアとか、現役時代こうしておけばよかったみたいなことを、なるべく現役選手に読んでほしいと思って書いています。 ささっと書いたのが結構読まれたり、魂込めて書いたのがあれっていうこともあるんですが、楽しいですね(笑)。 現役選手の価値は引退した後の価値とは全然違って、ちょっとした発信でも現役だとすごく価値があるんですよ。今の子たちに、そういうのを気づかせてあげたいですし、こういう先輩がいるとか、こういうことができるんだよっていう発信をしていきたいです。
──今後、将来的なビジョンはどのように考えていますか。
いま、ファシリテーターの勉強をしています。組織やチームの活性化、協働を促進させる手法の一つのなんですが、もし陸上界でファシリテーションができるようになれば、選手はもっと伸び伸び走れるんじゃないかなと思っているんです。 陸上って人間関係がすごく影響するんです。いかに走りやすい状況をつくるか、スタートラインに立つ時に「大丈夫」って言ってもらえるだけで、結果が大きく変わってくるんです。 コーチにも興味があります。目立っていない原石を目覚めさせる指導をしてみたいです。 引退してすぐに陸上の現場に戻ったら何も変わらなかったと思うんですけど、引退して6年間、いろんな人に出会っていろんな経験したので、いま陸上に戻ったら違うアドバイスや関わり方ができると思っています。
いま、改めて組織作りを学んでいるということは、コーチ業への意欲を裏付けるものだろう。数年後、母校や実業団などで指導者になり、新しい風を吹かせてくれるに違いない。 そんな加納のカラーに満ちたチームを見てみたい。