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【中村憲剛×井川祐輔】今日より明日の自分を磨き、未来をつくる

コロナ禍により、さまざまな大会の機会や練習の時間を奪われてしまった2020年。従来の常識が常識ではなくなったこれからの世の中で、プロを目指す部活生にとって、変わらないものと変わっていくものは何なのか。プロサッカー選手歴18年、川崎フロンターレの中村憲剛選手と、16年の現役生活を引退後、香港3部の監督やサッカースクールの運営、17Liverとして活躍する井川祐輔氏に、プロフェッショナルとは何か、これからのキャリアに必要な考え方は何かについて、中央大学サッカー部主将・深澤大輝氏と、慶應大学ソッカー部主将・松岡瑠夢氏と共に伺った。

※本記事は、中村選手と井川氏の対談です。

プロになれるとは思っていなかった部活生時代

――中村選手と井川さんはどんな部活生だったのか、学生時代の話を聞かせてください。

中村:まさに、いまzoom越しに見えている深澤くんが住んでいる中央大学の寮で、僕も大学の4年間、暮らしていました。

深澤大輝:中央大学サッカー部主将。中村憲剛選手も過ごした寮からZoom参加。
深澤大輝:中央大学サッカー部主将。中村憲剛選手も過ごした寮からZoom参加。

中村:僕は有名校出身ではなかったので、周りの全国大会出場や国体出場などの経歴を持つ選手たちに腰が引けていたし、入学したときは当然のように一番下のチームからスタートので、プロになれるとは思っていませんでした。 ただ、一番下から這い上がるしかない、わかりやすい状況だったのが良かったと思います。練習に明け暮れる日々を送り、徐々に試合に関われるようになりました。そんな僕がプロになりたいと思ったのは、大学4年の春のこと。キャプテンに就任し、新しく来たコーチ(現中央大学監督)に「Jリーグに行きたい」と進路相談をしたことをきっかけに、川崎フロンターレの練習に参加するようになりました。

中村憲剛:1980年10月31日生まれ。東京都出身。O型。小学校時代よりサッカーを始め、中央大学を経て、2003年に川崎フロンターレに加入。Jリーグ優秀選手賞15年連続15回受賞、Jリーグベストイレブン8回受賞。日本代表でも活躍し、通算68試合6得点。衰え知らずで2016年には歴代最年長36歳でのJリーグ最優秀選手賞に輝く。2018年には大卒選手として、歴代最多出場の記録を更新。川崎フロンターレ一筋で、18年目のシーズンを送るクラブの象徴的存在。
中村憲剛:1980年10月31日生まれ。東京都出身。O型。小学校時代よりサッカーを始め、中央大学を経て、2003年に川崎フロンターレに加入。Jリーグ優秀選手賞15年連続15回受賞、Jリーグベストイレブン8回受賞。日本代表でも活躍し、通算68試合6得点。衰え知らずで2016年には歴代最年長36歳でのJリーグ最優秀選手賞に輝く。2018年には大卒選手として、歴代最多出場の記録を更新。川崎フロンターレ一筋で、18年目のシーズンを送るクラブの象徴的存在。

井川:実は僕もプロになれると思っていなかったんです。中学生の頃からガンバ大阪のジュニアユースで育ち、高校生でユースの選手としてサッカーを続けていましたが、レベルの高い人が周りにたくさんいたから、プロになれるとは到底思えなくて。 だから、大学に進学して卒業後にはトレーナーになろうかなと思っていたのですが、高校3年生の春に突然プロの道が拓けたんですね。そこで、大学に通いながらプロとして活躍する道を容認してもらい、大学生活とプロサッカー選手の両立生活が始まりました。ただ、現実はほとんど大学には通えずに中退しましたけどね。

井川祐輔:1982年、大阪府生まれ。2001年から2019年までプロサッカー選手として活躍。J1通算259試合に出場。ガンバ大阪ユースから昇格し、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島、名古屋グランパスエイト、川崎フロンターレでプレー。香港プレミアリーグでもプレーし、2019年11月プロサッカー選手としてのキャリアを終える。2018年からは香港にステージを移す。 2019年にプロを引退し、現在は香港リーグ3部監督として指導者の道に。現在はアスリート・スポーツに関わる人の可能性を広げるデュアルキャリアアンバサダーに。
井川祐輔:1982年、大阪府生まれ。2001年から2019年までプロサッカー選手として活躍。J1通算259試合に出場。ガンバ大阪ユースから昇格し、ガンバ大阪、サンフレッチェ広島、名古屋グランパスエイト、川崎フロンターレでプレー。香港プレミアリーグでもプレーし、2019年11月プロサッカー選手としてのキャリアを終える。2018年からは香港にステージを移す。2019年にプロを引退し、現在は香港リーグ3部監督として指導者の道に。現在はアスリート・スポーツに関わる人の可能性を広げるデュアルキャリアアンバサダーに。

結果を残さないと選手生命が終わる

――プロになってから辛かった経験を教えてください。

中村:1年目は辛いというか、これは厳しい世界に飛び込んだなと思いました。練習が厳しいのはもちろんですが、1月からキャンプが始まって3月の開幕以降、12月まで戦うという流れもよくわかっていなかったんですよね。 周りを見渡せば名の知れている選手がたくさんいて緊張感もあったし、頑張って結果を残さないと、大卒なので1年でクビになってしまうという危機感が強かったです。

――どうやって乗り越えたのですか?

中村:うまくいかなくても出来たこと・出来ないことを毎日振り返り試合に出るために、いかにして自分の爪痕を残せるかを考えながら泥臭く練習をしていました。 大学では結果を残さなくてもクビにはなりませんが、プロの場合は出場しなくても何年もいられる場所ではないので職業にするのはこういうことかと思いましたね。

2003年中村憲剛選手加入1年目
2003年中村憲剛選手加入1年目

井川:僕もプロ1年目は厳しかったです。最初のキャンプでは、僕を含めてユースから昇格した高卒3人が同部屋で、気合を入れていました。でも、数日が経って慣れてきたタイミングで3人揃って寝坊してしまったんですね。 すると次の日から、毎朝誰よりも早く朝食会場に行って全員に挨拶をする日課を課せられることに。当時のユースの雰囲気は緩かったので、体育会系の洗礼を受けたのは初めてで驚いたし、厳しい環境だなと実感しました(笑)。 20歳になると、宮本恒靖選手が日本代表に選ばれたことをきっかけに、キャンプ中は宮本選手が不在で空いているポジションに僕が入っていました。だから、宮本選手が戻ってきても、僕をこのまま使ってくれるんじゃないかと、どこか自信があったのですが、実際はベンチにも入れなくなって。 監督に「ベンチに入れないなら移籍させてくれ」と半ば怒りながら直談判したことをきっかけに、ガンバ大阪から広島、名古屋、川崎とチームを移すことになりました。当時は移籍にネガティブなイメージがあったのでかなり無謀な直談判でしたが、結果的にキャリアアップできたので感謝しています。

フロンターレ在籍時の井川祐輔氏
フロンターレ在籍時の井川祐輔氏

サッカー以外の道も選択肢に加える、デュアルキャリア

――井川さんは、現役を引退後に指導者になられました。その経緯を教えてください。

井川:現役サッカー選手を続けているときに、セカンドキャリアを考えている人は正直少ないのが現状です。僕も例外ではなく、いずれ引退のタイミングが訪れることはわかっていたけれど、人ごとのように考えていました。 結局、海外移籍をした後に監督の話をもらって今に至るのですが、流れでたどり着くキャリアではダメだと思ったんですね。現役時代からサッカー以外に興味があることや、自分にできることは何かを考えるべきだと痛感したので、今はサッカー選手がデュアルキャリアを考えられるような、お手伝いもしています。

中村:30歳を過ぎてからセカンドキャリアは考えているけれど、何をするかは全く決まってないですね。具体的になるのは引退した後で、現役中はプレイに集中する。先を考えながら現役を続けるのは難しいのが現状です。

――プロ選手として活躍しつつ、セカンドキャリアを考える方法はありますか?

井川:学生時代は勉強やアルバイトなど他の時間もあったのが、プロになった瞬間からサッカーしかしなくなります。だから、現役選手がサッカーをしながら自分は他に何をしたいのか、何ができるのかを見つけるのは難しいんです。 でも、見つけておかないと、2年生きられるのか15年生きられるのかわからないプロの世界で、急に戦力外通告を受けて困る人はとても多い。仮にコーチになったとしても、コーチ業が終わったらどうするのかを考えないといけません。 ただ、僕自身、30歳を過ぎていろんな企業の社長とお会いして相談しましたが、返ってくる答えは「現役のうちはサッカーに集中したほうがいい」という答えでした。もちろん、その通りだけど、その後どうするかのアドバイスをもらえなかった経験から、僕は現役選手がデュアルキャリアを意識できるような存在になりたいと思ったんです。

井川祐輔氏は2018年から活動の場を香港に移し、HK3部の監督として日々奮闘中
井川祐輔氏は2018年から活動の場を香港に移し、HK3部の監督として日々奮闘中

井川:サッカーでいえば、ドリブルかパスかの2つの選択肢を持っていて、ドリブルの選択肢がなくなったらパスを出す。そういったマインドを持っていないと、これからの社会は特に厳しい。Jリーガーの平均引退年齢は26歳だから、プロ選手時代に何かアドバンテージをつけることが、次のステップにつながるのかなと思っています。

昨日より今日、今日より明日

――中村選手は18年という長いプロ選手生活を送っています。プロで居続けるための考え方や哲学はありますか?

中村:当たり前のことですが、昨日よりも今日、今日よりも明日、成長し続けたい気持ちが小さい頃からすごく強いんです。その結果、今もこの世界にいるのだと思います。 毎年メンバーが変わり、そのなかで競争があるなど外的なモチベーションもあるけれど、自分が成長しないと争いに勝てない世界だし、チームに付加価値をつけられないならいる意味がない。だから、チームが勝つために自分は何をするべきか、そのために自分に何が必要か自分で考えながら成長を続けてきました。 自分に期待をしているし、自分が理想とするに自分にどう近づくか。チームやサッカーに付加価値をつけるために、プロとして自分には何が足りないかを考えて克服していく。 それは怪我の期間も同じで、昨年、前十字靱帯を損傷してからは、治った後に何ができるのか、どういうプレーを披露するのかをずっと考えてきました。そもそも、39歳で前十字靱帯を損傷して現役復帰した人は今までほとんどいないので、自分に何ができるのかワクワクしているところです。

中村選手3

昨日の自分に後悔する頻度を少なくする

――深澤さんと松岡さんはプロ志望ですが、プロを目指すために必要なことを教えてください。

中村:今は大学で勉強をしながら部活をしていると思いますが、プロの世界に入るとサッカーだけの生活になります。入った当初は「なんて素敵な世界だろう」と思いましたが、僕は最初のキャンプで壁にぶつかって、結果を出せなかったらサッカー人生が終わるという背筋の凍る思いをしました。でも、それがプロであるということ。 お金を払って自分のプレイを見に来てくれる人がたくさんいるからこそ、自分の武器を磨いて、見に来てくれた人の心に何かを残す必要がある。 24時間を費やした結果がダイレクトに出るので、大学を卒業したらゼロか100かの世界に入ることを認識して欲しいです。とはいえ、これは脅しではなくて、入ってしまえば自分次第でもあるということなんです。やればやるほど結果が返ってくる。だから頑張って欲しいです。

井川:中村選手に付け足すとしたら、昨日の自分の練習態度や姿勢に「後悔する頻度」をどれだけ下げられるかが大事だと思います。僕は一度、「このままサッカー選手が終わってしまうのかな」と感じた時期がありました。そのとき、自分の練習態度や姿勢を振り返ると後悔しかなくて、もっとサッカーをしたいと思ったんですね。 もちろんプロだから100%で挑むのは当たり前ですが、その中でもちょっとしたことが後悔につながってしまう。プロ選手生命も時間も有限だから、どれだけ続けられるかは自分次第です。

自分の名前で勝負できる個性や強さを磨く

――最後に、深澤さんと松岡さん、また全国の部活生に向けてメッセージをお願いします。

井川:僕はいま、「井川祐輔」として勝負していますが、それまでは「川崎フロンターレの井川選手」でした。自分から看板がなくなったときに、何で勝負できるのか。長い人生を見据えたとき、サッカー選手以外にも自分の得意と好きを見つけるのがとても大事であることを実感しています。 もちろん、プロ選手になれたら現役時代は全力で取り組むのは大前提ですが、それ以外にも自分の名前で勝負できる個性や強さを身につけて欲しいと思っています。

慶應大学ソッカー部主将・松岡瑠夢氏、中央大学サッカー部主将・深澤大輝氏や現役部活生へのメッセージが送られた
慶應大学ソッカー部主将・松岡瑠夢氏、中央大学サッカー部主将・深澤大輝氏や現役部活生へのメッセージが送られた

中村:みんなコロナ禍によって奪われた大会や練習時間があって、悔しい思いをたくさんしたと思います。一方で、コロナ禍によってZoomのようなビデオ会議ツールが浸透しなかったら、今回のように直接話す機会はなかったかもしれないですよね。 チャンスもヒントもどこに転がっているかわからないからこそ、今回の僕らとの出会いが2人の未来に向けての良いヒントになればすごく嬉しいです。まずは、卒業するまでの間に、生活習慣を変えたり、心構えを変えたり、明日からの取り組みを変えたりして、頑張って欲しいです。

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DUAL CAREER.inc(デュアルキャリア株式会社)は、元プロサッカー選手だった代表 嵜本晋輔、大手企業やタレントプロデュースを行うブランドプロデューサー久々野智小哲津が立ち上げた会社です。アスリートが、人生における様々な可能性を支援するための事業を行っています。コロナの影響で悔しい想いをしている部活生に、少しでも何か後押しできるような機会を持てないかと思い、このたびBe a Player!に協賛しました。

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DUAL CAREER.inc(デュアルキャリア株式会社)はアスリートやスポーツに携わってきた人が「プレイヤー」という枠を超え、その方が持つ魅力や個性を、YouTubeやライブ配信アプリ・SNSなどのメディアを通じ伝えていく事をサポートしています。ファンや支援者の方とのイベント運営や、スポンサーのご紹介も対応。個人では対応しにくい、法律や会計関係も専門家のバックアップ体制を持ちます。また、ハットトリックオークションというポータルサイトを運営。各競技団体・クラブ・選手から提供を受けたユニフォームやグッズを、チャリティー目的などのためにオークション開催しています。サッカー、野球、柔道、陸上など様々な業界の、選手クラブに賛同頂いています。

嵜本晋輔:デュアルキャリア株式会社代表取締役社長
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久々野智小哲津:デュアルキャリア株式会社副社長
久々野智小哲津:デュアルキャリア株式会社副社長